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第3話

《ウクライナ🇺🇦のシルヴェストロフ〜恩師に捧げる後奏曲》


音楽に出会うのは、人と出会うのと似ていて、偶然のように見えて、全て必然なのかも知れない、と思う事があります。

 



ウクライナの作曲家シルヴェストロフを知ったのはいつ頃でしょうか。

 

今のようにロシアとウクライナが戦争状態である以前であったのは間違いないのですが。

 

両国がこのような状態になったばかりの頃、私に出来ることは何か無いだろうかと模索していた時期がありました。

 

私はウクライナのV.コセンコという作曲家に元々興味があり、彼の有名なガヴォットを以前弾いた事がありました。また彼の作曲したパッサカリアを聴いた時の衝撃が忘れられず、この何十変奏もある大曲を一変奏ずつ弾きInstagramの動画に一変奏ずつ納めることで自分自身のモヤモヤした気持ちや自分なりの祈りを込めて演奏することにしたのでした。


    

暫く経った頃、YouTubeの演奏動画に一件思いがけない書き込みがありました。

 

なんと、ウクライナ在住の方からで、私のウクライナの作曲家のピアノ小品の演奏を聴き、メッセージを送ってくれたのでした。

 

そこには

 

「あなたの演奏でシルヴェストロフのバガテル作品4が聴きたい」

 

と書いてありました。

 

私はその方に必ず弾きますと約束をしてシルヴェストロフのバガテルの楽譜をまずは取り寄せることにしました。


 

バガテルが掲載された楽譜は、ひと月くらいして海外から届きました。

     

楽譜をひらいてみて驚いたのが、細かな記号によるテンポや強弱指示のあまりの多さ。

 

これ程までに指定が多いと楽譜を見ながら再現したほうが良いと感じるくらいでした。

何故こんなにも、と思いながら弾いてみると、儚げな淡い心の揺らぎのようなものを感じることができました。

 

現実を目の前にした虚無感、やるせなさ、人の温かさ、幸せだった時の思い出…

 

シルヴェストロフの繊細な音楽は抽象的に描かれるからこそ、このように様々な思いを湧かせてくれるのだと思います。

 

楽譜の最後にあるPostludium Op.5 (後奏曲)という楽曲はそんな中で試し弾きがてら演奏していたのですが、妙に惹かれるものがあり、何か作者にとって特別な曲ような感覚に陥いりました。


 

そんな時、チェコの2人の恩師のうち、旦那さまのハヌシュ・バルトン教授が亡くなられたという訃報を奥さまのヤナ・マハラーチコヴァ教授のSNSで知りました。

 

今は本当に情報や写真だけが先に入ってきてしまう時代で、どんな教会で葬儀が行われたのかまで克明に分かってしまうのですが、私はチェコに行くこともできず、お悔やみの言葉を奥様に送る以外は何も出来ないでいました。

 

バルトン先生には留学当時沢山レッスンしていただいた大切な思い出があります。

 

先生は柔軟な思考の持ち主で寛容な人でした。楽譜をどう読み捉えていくのかをいつもユーモアを交えながら教えてくださいました。


 

亡くなる前、2019年にたまたま私がタイで演奏する前日にメッセージが来たことがありました。何年も前に出したメッセージを見つけて、それにその時たまたま返事を送ってくれたのでした。


タイミングよくチャットのようにいくつかやり取りをし、私が演奏を続けていること、明日チェコの作品をタイで弾くことを喜んでくださったのが最後の会話となりました。

 

思い起こせばあの時点で先生はすでに自宅闘病中の身であったのでしょう。

 

後奏曲はその訃報を聞いて、すぐに浮かんだ曲でした。

 

あとで知ったのですが、後奏曲とは、教会で祈りを捧げたのち、退場する際の音楽ということでした。


 

葬儀が済み、2ヶ月ほど経った頃に奥様のマハラーチコヴァ教授にメッセージを添えて送りました。

 

久しぶりに先生とやり取りをし、ささやかな私の演奏を喜んでくださいました。

 

私に出来る事は限られているものの、やはりいつも心をこめて、これからも長きにわたって先生方に教えて頂いた音楽を演奏する事なのだと思います。

 

この後奏曲はウクライナの方からのリクエストのバガテルと併せて、とある山の中のホールを借りて演奏しYouTube用に録画したものです。

 

もし聴いていただけたら幸いです。