1855年頃作曲された小さな作品。
この「アンダンテ」はスメタナの残した膨大なピアノ曲の中で、決して目立つような作品ではありません。
もう10年近く前の話になりますが、見知らぬご婦人よりメールで私の元へお問合せがあり、この有名ではないスメタナの小品をチェコ特集のBS番組(チェコのヤン・ネルダ音楽学校の特集が途中に流れたのだと思います)の中で聴き、楽譜をお探しとのこと。
スメタナのピアノ曲がTVで流れるチャンスはめったにないのと、その番組を私も偶然見ていたので、すぐにそのお探しの曲が、私の手元の楽譜のアンダンテ変ホ長調であることが分かり、教えて差し上げたのでした。
もっというと、そのときTVで演奏していた少年の音に感動して、どちらもいつか私自身演奏してみたいと思っていました。
約10年ほど経った今、じわじわとこのアンダンテが自分の心に響いてくるようになり、CDの中でも一番初めに置くことにしました。
作曲された年周辺の1854年~56年頃のスメタナの人生を振り返ると、彼は当時あまり幸せだったとはいえない状況でした。
カテジナと結婚の後、プラハ城におけるフェルディナンド一世の常任宮廷ピアニストの職も得たりと活躍の幅を広げ、新進気鋭の作曲家として創作活動を行う毎日でしたが、1854年には長女であるべトジーシカが猩紅熱で死去してしまい、彼女を偲んで有名なピアノ三重奏曲ト短調を書いています。
さらに見ていくと、1856年には生まれたばかりの4女カテジナが死去・・そして妻であるカテジナは結核にかかってしまい、スメタナの家庭の中には不幸なことばかりが続きました。
そんな風に一家に暗い影が付きまとう頃に作曲されたこの作品は、皮肉なことにとても穏やかで光に満ちています。
普段の日常生活における、家族との団欒のとき、恋人と過ごす時間、夕暮れの景色・・
何気ない時間が穏やかに過ぎていくときこそ、人生にとって贅沢な時間であるということ・・大切なものはもう既に身近にあるんだよ・・
何気ないものこそ大切に
と静かに教えてくれるようにも感じます。
これは私がピアノに取り組むとき、いつも忘れずに感じるようにしていることでもあります。
アンダンテ(歩くように)という指示通りに、丸みを帯びた音楽がゆったりと進んでいきます。